犬丸(大阪)

精神科では未だに不必要な入院を行っています。

思春期の子供に向精神薬を飲ませたり最近ではかわいそうな認知症老人まで入ってくる
さんざんな治療をされ、死んでいった患者。上司はそれを「看取り」なんて言ってますね。最近、目立って患者が減ったので入院入れろ!の一点張り 420床きったらボーナスないと理事長が看護師に命令。狂ってるとしか思えないです。向精神薬をたんまり飲んで良くなった患者を見たことがありませんしね。

 

TEST(新潟)new

一例として、何かを検討する際の参考になればと思い、自分の体験を記したいと思います。

私に起きた出来事の、私側からの見解というか感想です。

22・3歳の当時、その出来事について自分の考えを話せる環境はありませんでした。

起こった出来事とは、親、親戚、姉妹のおそらく総合的な意見により、一時、精神病院に入院させられたことがある、ということです。

私はといえば入院期間中、そして入院が終了した後もずっと、こういった状況はどうやって起こるのだろう?と考えてきました。


 まず出来事の前置きです。私の生い立ちが出来事の成立に繋がっていますので記します。
 小さい頃から家に居つかず家庭放棄していた父と、母が離婚したのは、私が14歳のとき。その後は引越して、私は母・姉妹と共に暮らしていました。

 母は社会性の低い環境で育ち、結婚後もその点が性格や行動に影響していました。
 父と不仲になったあとも、もともと親戚との付き合いも少ないうえ、殆ど友人もおらず、家には人の出入りがありませんでした。
 それ自体は罪ではありませんし、不自由な中でも子供達を精一杯育てていたのは分かります。

 しかし子供を育てるには不向きな性格と環境でした。
 実際、母は生活に疲れていたので子育てに気を回す余裕もなく、第一子が成長し、やがて母の相談相手となることに期待をしていたようですが、第2子である私を育てることには気が向かないようで、進路やその他のことでの会話も滅多にありませんでした。

 私が小学生の頃ですが、友人ができたとき、母に「その子と遊んではいけない」と言われたことがあります。また高校生になってアルバイトをしたいと言ったときも「だめだ」というきりで、理由の説明はありません。
 というのは母は理由を整然と説明するのが不得手だったからで、そういったことが小さいころから繰り返される内に、私は、何か自分の先のことに期待や要望を持つことを簡単に諦める癖がついていました。
 また、中学生の時に引越したことで、短い期間でしたが苛めがあったりして友人が作れず、高校もそのまま卒業しました。苛めのことを母は知りません。

 もし私にまともに友人ができ、友人を通して社会を知り、他と自分を比較する機会があれば結果は違っていたのでしょう。しかし、家庭ではそういった状況に気付く人もいませんでした。
 私はまったく自分の置かれた立場や、諦め癖がその年頃の人間にとって良くないことなどを知らず、無自覚で、世間を知らない子供に育っていました。


 そういった育ちでしたので、内省的傾向のある性格になっていました。一方、成長し切れていない子供らしく、意地っ張りでもありました。子供的な意地っ張りと釣り合う程度には、楽観的な部分も持ち合わせていたと思います。

 学校を卒業後は暫くアルバイト等をしたのですが、それまで無軌道でいたために行き詰まっていました。しかし何がしたいのかはっきりとした希望は何もなかったので、ただぼんやりと、行き詰った状態で日々を過ごしていました。

 

 「前置き」はこんな感じで、その後、私が引きこもり生活に入ったので、途方に暮れた母は、これまで憎しみの言葉をぶつけてきた父に、仕方なく頼ることにしました。連絡を受けた父は、田舎暮らしでしたので、その片田舎にあった精神病院に入院手続きをとりました。

 今はどうかは知りませんが、当時の田舎にある精神病院といえば、周辺の村々で、少し知恵おくれ(当時はそんな言い方が普通でしたが)で生まれた子を実家では面倒見きれないので、病院へ何年も預けたまま置かれ、大勢生活していました。そういう病院の利用方法は珍しいものではなかった時代です。

 父は、それまでの私の生活や考えについては何も知らないのですが、母と姉妹の総合的意見により、入院を決めたのでしょう。私は入院などしたくありませんでした。

 そのときの私は行き詰っていて、この先自分でどうしていったらいいか分からなくなっていましたが、かといって信頼できる人間もいなかったので、母・姉妹にも、誰にも自分の考えや気持ちを話すことはしていませんでした。

 入院を決められたときも、世間知らずの私にはそれに替える案も浮かばず、かといって話してわかる家族ではないし、父はもともと自信過剰なうえ煽てに弱く、強権的で好き勝手する傾向のある人なので、自分の意見を譲ることはありません。また手をあげることもある人でした。
 そんななか、行くところもないし、私は状況的に入院するしかないのかな?と諦めてしまいました。

 病院では、簡単ないくつかの質問のあとの診断は「精神分裂症」、でした。
 入院とは最初に医者と家族の間で決められた取り決めのようなもので、一度入ってしまえば何か言っても無駄なんだと学びましたので・・本人と話して覆ることはないということがわかりました。
 入院中は、病院のすることと、他の生活者を観察しながらじっと耐えていました。


・・出来事の内容はこんなものでした。
 あれから何年も経ちますが、「そういった状況に陥った誰か」について、家族が理解したいと望んだことは今も昔も無いので、私からもあの「病気」と「入院」について、今後も家族と話すつもりはありません。

 何年か前の話ですが、あるとき離婚した友人がいて、彼女は離婚の経緯からそのショックに耐え切れず、何年間か精神的にふらふらになり、表情や行動にもそれが現れていました。
見るほうもハラハラするくらいで、実際によく車で自損事故を起こしていました。彼女の家族等のなかでは入院を検討する声もあったようですが、通院を始めた精神科クリニックの担当医師は、経緯をよく聞いた上で「入院は必要ないですね」と判断したということでした。
周囲の声より、彼女の意思や彼女のこれからを優先したうえでの判断のようです。
その話を彼女より聞き、私は、最近の精神科方針は少しよくなったんだなあ、と羨ましくなりました。
 こういった例が増えてくれればと、心から思います。何しろ親や関係者は、通常は理解を医者に一任しますから。

 「理解すること」が精神的に大きな負担になることは、私も分かっています。
しかし医者、または親族などの関係者のどちらかがそれを負わないと、悲惨な人権侵害を起こしたうえ、本当は何だったのかが、埋もれたまま明らかになることはないのですから。