亀井恒夫 (合資会社経営,東京)

身体障害当事者です。身近に作られた「精神障害者」が多い。数分診療で投薬に次ぐ投薬。
自力で減薬に挑み、離脱症状に苦しみながら少しずつ回復に向かう当事者。
「こころの健康を守り推進する基本法」は当事者に寄り添う政策が見えない。発症を出来る
だけ早く認知し(したものとして)そのカテゴリー内に押しとどめて置きたい、そんな政策だ。
結果、見かけの自殺死亡率を下げる期待と、不登校などは「精神障害者」として除外していくのだろう。
ましてや、子ども達を製薬会社の収益マシーンにはさせない。

 

赤沼侃史(精神科医,千葉)

発達障害

障害者とは日常生活に障害(日常生活の質の度合いをQLOと表現します)を来す人を言います。日常生活に障害を来す程度(QLO)はその人と周囲の人との関係で大きく異なります。現代のように管理された社会の中で生活するとき、その管理から逸脱する人は障害者として見なされる傾向にあります。管理された社会の中では障害者でも、管理の弱い社会の中では、障害者として扱う必要がないことも多いようです。ですから、基本的に障害と病気とは異なる概念です。しかし多くの人は混同して用いているようです。

障害者には身体障害者の他に精神障害者と発達障害者があります。身体障害者は何かの原因で生じた、身体にはっきりと分かる障害を持っていますから、わかりやすいです。精神障害者は精神活動に関して生活に障害を生じる場合であり、その判断は人によって大きく異なります。またその原因も分かっていません。発達障害は子どもに期待される能力や精神活動の発達が不十分で、日常生活に障害を来す場合です。生まれつき脳の機能(脳本体ではない)に異常があると言われていますが、未だにそれを証明できていません。

発達障害は生まれつき脳の機能障害と言われていますが、乳幼児に気づくことはないようです。気づくとしたら、性格が良い意味でも、悪い意味でも、一風変わった子どもとして理解されます。それでも多くの子どもは成長とともに性格が変化していき、障害者として考えなくて良くなります。発達障害という概念がない時代には、一風変わった子どもと理解されていた子どもを、現在では発達障害と表現しているようです。

一風変わった子どもでも、子どもが家庭にいるかぎり、大きな問題を起こしません。子どもの性格に親の対応を合わせられるからです。ところが子どもが幼稚園や小学校という子どもの社会生活を始めると、問題を指摘されるようになってきます。子どもの社会を管理している人が、その子どもの社会を管理できなくなるからです。子どもが問題を指摘されても、子どもの社会で受けた辛さを家庭で解消できたなら、子ども自身が自分の問題をその子どもなりに解決して、その子どもなりに成長が可能です。子ども社会に順応するようになります。

幼稚園や小学校という子ども社会で問題を起こす子どもを、親の力で解決しようとすると、子どもはますます問題を起こすようになります。その心の仕組みは分かりませんが、現実に子どもは集団に不適応な反応を強めていきます。子ども社会での問題児となり、現在では発達障害と理解されるようになっています。つまり発達障害とは、子どもが属する子ども社会に不適応を起こしている子どもの性格のことです。子どもの性格の分類の一つです。

子どもの性格ですから、子どもが属する子ども社会を変えることで、子どもが社会に不適応を起こさなくなることもあります。発達障害でなくなります。発達障害は発達障害という概念で子どもを見ることで始まります。発達障害という子どもの状態は絶対的なものではなくて、相対的なものです。子どもが属する子ども社会によって変わってきます。親の対応でも変わってきます。

現在の大人社会は、発達障害と分類された子どもを、子どもが属す子ども社会に適応させようとあらゆる努力をしています。ところが現実には、その努力がますます発達障害と分類された子どもの性格を強めています。現実には、多くの大人の努力とお金を用いて、発達障害と分類された子どもの性格を強めています。その際に気づくことは、いったん発達障害と分類された子どもを、大人は発達障害という大人が作り上げた概念から見て(色眼鏡で見ると表現することがあります)しまうことです。決して子どもの心を素直に見つめようとしません。それは子どもの心の理解を誤りますし、子どもはますます発達障害と分類される性格を強めていきます。そしてこの事実を理解できる大人が殆どいません。

子どもが属する子ども社会に不適応を起こしている子どもの親は、子どもがなぜ不適応を起こしているのか悩み苦しみます。そのとき子どもが病気という意味で発達障害と診断されると、親は原因が分かったと考えて安心をします。子どもの心を守ろうとする対応から、子どもの心を治療する対応に変えます。子どもを医療にかける努力に変わります。医療の内容によりその影響は異なりますが、それは子どもにとって子どもなりに素直に成長したいという子ども特有の本能を否定することになり、ますます不適応を強めて言ってしまいます。子どもによっては神経症状や精神症状を出すようになります。