世田谷の母(東京)

私は、世田谷区に住む、19歳の娘を持つ、母親です。

ベースに広汎性発達障害があることに本人も親も気づかず、娘は、忙しい生活やいじめのある学校生活の中で本人の許容範囲を超えてしまい、中学1年(13歳)の秋に、幻聴・幻覚・妄想が噴出し、統合失調症のような症状を発症してしまいました(しかし、統合失調症ではありません)。

児童精神科専門で有名な病院である世田谷区にある旧都立U病院で最初に処方された抗精神病薬で重篤な副作用(悪性症候群)が起こり、救急の都立H病院に救急車で搬送され、入院(3ヶ月)しました。本来の神経科の治療を一時ストップし、肝臓の値が正常に戻るための治療を最優先せざるを得ず、抑えるすべのない精神症状がものすごい中、苦しむ娘と私は一睡もできないICUでの二晩を過ごしました。神経科病棟に移り、大変お世話になりましたが、発達障害は見過ごされたまま統合失調症と診断され、その治療を2年以上行いました。その中には、初期に10回の無痙攣電気療法も含みます。当時は統合失調症と信じてしまい、早期治療をしないと予後が悪いと言われ、試す薬がことごとく効果が出る前に副作用ばかり出て、この治療となってしまいました。その後、統合失調症の減薬をし、H病院にはデイケアがなかったので、旧都立U病院は思春期専門のデイケアのある有名病院でありましたし、また戻ってしまいました。しかし、同じ病院でも、診断名は主治医によって変わっていきました。最初は、発達障害と2次障害としての統合失調症。この時初めて、娘のベースに発達障害があることがわかりました。しかし、治療は従来の統合失調症のものと、ほとんど変わりませんでした。また、本人の特性を表面上しか理解していなかったことに気づかず、段階を経ずに、通信制のサポート校に挑戦し、一ヶ月足らずで、旧都立U病院に休息入院することとなりました。退院後、いろいろな症状がどんどん出てくるということで、次の医師は診断名を変えました。発達障害と、本来の統合失調症の合併というもので、重くなっていきました。環境の変化で調子が崩れると薬が増え、7年目を向かえても状態が良くなるどころか薬が増えるだけで、娘の生活の質は薬の副作用(特に頻発する眼球回転発作や、何回も自分の椅子を新しいティッシュで拭いたり、自分の背中にごみがついていないか尋ねずにはいられない強迫行動、不眠など)により悪化し、デイケアに行くどころか、食事や入浴も介助が必要で、少し長いテレビ番組も楽しめず、外出も不可能になってしまったのです。今では、一番娘を苦しめていたのが、多量の抗精神病薬や抗パーキンソン薬による副作用だとわかったのですが、当時は、本来の病気からくる症状ととらえられ、更に薬が増えるという悪循環でした。さらに、副作用は仕方のないものとされており、減薬の希望を出しても、再発すればさらに脳の機能が低下するとのことで我慢を強いられ、あとわずかで娘の年齢が20になるということで、早く他の大人の病院に代わるよう指示されました。

ところが、今年の4月23日、世田谷家族会“さくら会”主催の片岡聡氏の講演会を聴き、今まで6年以上の治療が、間違っていたことがわかりました。『ほんとうの統合失調症の人は薬に強い。一方、発達障害の人は薬剤に過敏な人が多く、少量の抗精神病薬でも副作用が出やすい。抗精神病薬やその副作用止めの抗パーキンソン薬も、副作用として衝動性の亢進や強迫、幻覚・妄想が出る。つまり、薬に過敏な者には大量の薬はNGであるのに、医師は何か症状があるとすぐに薬を増やし、薬の副作用で出ているものを病気の症状ととらえ、さらに薬を増やし、その薬害で自ら難治の統合失調症を作っている(本当は、統合失調症ではなく発達障害がベースにあり、一過性の精神病状態を起こしただけであったのに)』と言う図式に、まるで娘のことではないか、これが真実なのではないかと確信しました。すぐ後に、関連情報として、書籍『精神科セカンドオピニオン1・2』シーニュ社、『パスポートは特性理解』ノンラベル・田井みゆき著、ホームページ『毒舌セカンドオピニオン』を知り、なんと、世田谷区ではなくはるばる遠い愛媛の笠医師にセカンドオピニオンをお願いし、やはり統合失調症ではないし、一刻も早く減薬に取り組むべきことがわかりました。

現在はクリニックに移り、笠医師に紹介いただいた減薬経験者の方のサポートをいただきながら、苦しい減薬中です。すぐに大量の薬を減らせるわけではなく、毎日娘の様子を観察しながら、一週間、二週間の単位で慎重に進めなければなりません。娘は、減薬のブレで出る副作用の強迫症状で生きた心地がしなかったり、不快なことは非常に多く、苦労を強いられています。が、減薬を始めて2ヶ月以上経ち、確実に、眼球回転発作の出る頻度が減った手応えを感じ、やはりこれが正しいのだと改めて感じているこの頃です。減薬はまだまだ途中であり、しかし、今は先に希望が見えるので、なんとしても減薬を成功させ、娘の思春期の貴重な6年間を、少しでも取り戻せたらと思います。

 

このように、日本の精神科医の中で、発達障害の可能性を念頭に置いた上で、統合失調症か、他の神経科の病気かなど判断できる方はごくわずかです。また、鑑別できたとしても、例えば、発達障害がベースとなった二次障害、更に薬剤性の三次障害に陥っている場合の適切な治療のできる医師を捜すのは、至難の業なのです。有名で良いと言われていた病院では、誤診が頻発し、昭和で止まったような統合失調症の治療が行われているのが現状です(娘が最初に処方された抗精神病薬は、旧薬〔定型薬〕といわれるものです)。この現状があるのに、今、各地で、10代の若者を対象に「早期支援」という運動が進められていることを知り、本当にびっくりしてしまいました。

発達障害と統合失調症や他の神経科の病気との違い、治療の違いを啓蒙することのほうが先で、その土台なくして早期に医療に結びつけるなどと、ありえないと思います。

娘は、区立の小学校に6年通うことができました。月1回は熱を出したり、ものすごくがんばっていたことと思いますが、3年生の時には、姉御肌で非常に心の優しいクラスメイトがおり、親友になってくれました。引越していってしまいましたが、彼女のおかげで、小学校だけは楽しかったという思いが、娘の心にずっと残っています。発達障害があっても、適度な支援があれば、やっていける場合もあります。すぐに医療や薬というのでは、今の状況では、また誤診、薬の大量投薬の犠牲者が後を立たないと危惧いたします。

 

世田谷区保坂区長への手紙から